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Hawaii Diary in Nov.2013

虹と赤土と荒れ野原だけの島、ラナイ島の旅。

 

Day 1  11月9日(土)  Prologue ~ 出発。

ラジオ番組放送終了後、午後5時30分札幌駅発で千歳空港へ。

事前にホノルル行きの座席の指定はしていたが今回も変更を頼むと、あっさりOK。
非常口前を確保。
早めに出たので空港で少し待ち時間。
旅行前の気持ちの昂りを沈めるようにご飯を食べてゆっくり。
午後9時発 JL528便で羽田へ。
 
羽田に到着が10時40分、乗り継ぎに約1時間程しかない。
ターミナルを移動し、イミグレーションの通過をしたら、あっという間に搭乗時間。
乗り継ぎが待たされるよりはるかに良いがギリギリなのは少々焦る。
 
10時40分発 JL080便は定刻で出発。
ほぼ満席とアナウンスがあったが、実は私の隣の席は空いたままであった。
3人席はこういうことになりやすい。
以前読んだ本によると、3人席はあえて2人の場合両端を押さえると良いそうだ。
と言うのも、海外線に一人で乗る確率は極めて少ないので、真ん中の席は利用者がいない。
万が一お一人様がいた場合は好きな方で代わってもらえば何の問題もない。
いなければ3席を2人でつかえるのでかなり楽なのだ。
 
映画は『ウルバリン・サムライ』。
2本目を見る頃に睡魔が襲ってそのまま就寝。
再び目が覚めたのは到着2時間前。
食事しながら二本目の映画 “TWO GUNS” を見てたら到着してしまった。
 
ここ最近のハワイ旅にはないほどの機内熟睡で楽な渡航だ。
と、言いたいところだが実はここからが大変だったのだ。

 

Day 1  11月9日(土)  到着。

昼前にホノルル空港着。
インターアイランドの乗り場へ移動。
乗り継ぎに余裕を持って約3時間ほどとっていたのだが、その飛行機がなかなか来ない。
どうやら天候が悪いためらしい。
ホノルルも叩きつけるような雨が時より降る中、さらに1時間、2時間・・・
時だけが過ぎて行く。
結局搭乗したのは約3時間ほど経った頃。
ISLAND AIR 314便。定刻は2時55分発。
しかし出発したのは5時過ぎだった。

 

ラナイ島までは約30分ほどのフライトだが、到着後すぐ日がくれた。

空港にホテルのシャトルバスが待機していた。

ラナイ島は大きなホテルが二つと小さなホテルが一つしかない。

ホノルルと結ぶ飛行機もプロペラ機。

 

と言うか、島に人もほとんどいない。

(多分、住民は3000人弱。)

 

島のほとんどの場所に全く人が住んでいない、ただの野っ原。ちなみに空港からホテルまでの道のりに一件の家もなし。

一旦チェックイン後すぐにレンタカーを借りるため町に出る。

ラナイシティはシティというが人はほとんどいない。

(厳密に言うと、ラナイシティにしか人は住んでいないのだが。)

と言うか、暗くて街があることがわからない。

明るい建物が一件あった。

どうやらグローサリーストア(よろずや)のようだ。

 

その建物の背後にレンタカー屋がある。

島に一件のレンタカー屋だ。

実は事前に調べてみるとこのレンタカーは全て借りられていた。

ラナイでは島は小さいが観光名所が点在しているので車がないと移動できない。

必需品なのだ。

そこで直接メールをしてみたところ返事が来て「ある」とのこと。(なんで?)

 

何度かメールと電話でちんぷんかんぷんながらも予約できた。

しかし飛行機がディレイ、閉店の7時ギリギリになってしまった。

ホテルのシャトルバスで送ってもらい車を調達、真っ暗闇で街灯すらまったくない町を抜け、ホテルへ戻ってきた。

 

今回のラナイ島は島の規模が小さいことと、

出かけるところ があまりない(後で詳細は説明する)ので2泊しかしない。

初日は予定通りならレンタカーを借りて日没前に近場の観光地をめぐる予定だった。

が、それができな かったので、2日目に朝から動く必要があった。

だから今日中になんとしても借りておきたかったのだ。

 

ホテルへ戻って夕食、しばらくして就寝。

飛行機でも順調に寝た今回だが、ラナイ行きのプロペラ機を待つ間に何度かウツラウツラとしたのが気になるが日頃の疲れのせいかベッドに入ると程なく深い眠りに入った。

 

目が覚めたのは・・・

 

午前3時。・・・またやった。

 

しかも外は強風の大荒れのようだ。

パームツリーが揺れて軋む音が聞こえる。

波も荒く大変。

「明日は大丈夫か?」そんなことを考えていたら、再び眠りについた。

 

Day 2  11月10日(日)  ラナイ島観光。

6時起床。まだ薄暗い。

どの島に行ってもどんな天気でも、ハワイの朝は気持ちがいい。

ラナイ(ベランダの事)に出て昨日は見られなかった景色を始めてみる。

​沖合に豪華客船が停泊している。

 

8時出発で島内観光ドライブへ。

ホテルを出た時は降っていなかったが、すぐに雨が降り出す。

それも ハンパじゃない量の雨。

驚いたのは昨日借りたレンタカーだ。

借りたのが夜だったので気がつかなかったが
ボロボロなのだ。

いや、ボロボロと言うほど古い訳では無く、

ハワイ特有の「赤土」にまみれていて、ボロボロに見えるのだ。

〜 Tips 1 ~

おまけに天井部と後ろ部分がキャンバス地で出来た幌タイプ。オープン状態で借りたので、いざ雨が降って取り付けしようとしたら車の側面を覆う部分が無い。上からの雨はしのげるが、横からの雨がどんどん車に入り込んでくる。別に汚れて困るような服を着ている訳でもないし、荷物を積んでいる訳でもないので構わないのだが、乾燥すれば風で舞う赤土が雨で濡れてシートにへばりつく・・・の繰り返しでこのジープは車内までも赤土まみれの「ボロボロ」になってしまったようだ。(ちなみに観光で自然豊かな場所に行く場合、「赤土」には注意が必要だ。白い靴やシャツなどについてしまうと簡単にはとれない。火山の島ハワイ諸島は火山岩で出来ていて鉄分を多く含み、その鉄分が酸化、つまり錆びて赤く染まる。)

 

ガッカリしているところに大きな虹が道を跨ぐように架かった。

とても見事な虹。

車を止めてしばし見とれる。

ほぼ完全なアーチ。

時より光の加減で二重にかかるダブルレインボーにもなる。

 

ハワイに来て雨はとても残念な気持ちにさせるが、虹はそんな哀しい状況を一変させる。

土砂降りの雨と強風の中、ラナイシティへ。

 

〜 Tips 2 ~

Lana'i City

ラナイシティはとても小さい町。

標高約500メートルほど(藻岩山山頂くらい)のところにあり涼しい。

(寒いくらいの時もある)

「ドール・パーク」と言う公園を取り囲むように、かわいいお土産物屋さんやレストラン・カフェなどが20軒ほどだろうか、建ち並んでいる。ゆっくり見ても午前中で見終わるくらいの広さだ。

しかも、今日は日曜のためほとんどの店がお休み。

やっている店も午後3時に閉めるなどほぼ やる気なし。

あくまでシマンチュ向けの商店街なのだ。

そこから数百mのところに昨日車を借りたダラーレンタカー (町で1件)、その建物に併設されているの がグローサリーストア (町で1件)、オイルなどモーターパーツを売る店 (もちろん、町で1件)。のみ。

あとはホテル内のショップしか見当たらない。

本当に「何もない島」なのだ。

朝食はロコモコを食べに、老舗レストラン “Canoes Lanai” へ。

少ししょっぱいがおいしい。

この店は以前「タニガワさん」という日本人が経営していたそう。

今はフィリピン系のオーナーと従業員だろうか?

元の経営者の名前を取ったタニガワ・ロコモコが人気なのだそう。

ちなみにその昔ラナイの人口の半分が日本人だったらしいが今はフィリピン系が7割を占めている。

ロコモコのグレービーソースの量が多すぎて皿から溢れ、滴り落ちていた。

そのガサツさはやはり、日本人の「おもてなしの心」とはかなり遠いものだ。(まぁそれも含めての、「アメリカ」なのだけど・・)お腹を満たしてから、ラナイシティの街を少し散策に出る。

〜 Tips 3 ~

Hotel Lana'i

シティ内にある唯一のホテルは Hotel Lanai。

1923年に建てられたホテルは雰囲気のある佇まい。ホテルのマークにも使用されている樹はノーフォークパインと言われる松が島中に生えている。

実はジョージ・マンローと言う自然学者が牧場主として移住、その際に水分の少ない環境を変えるために持ち込んだそう。

ハワイと言うと「ヤシの木」のイメージがあるが、ラナイでは全く違う景色が広がる。

まるでカナダだ。

 

ラナイシティ中心部を離れ向かったのは、

宿泊しているホテルとは別の大きなホテル

「Four Seasons Lanai at Koele Rodge」

こんな小さな島になぜか一大リゾート・フォーシーズンズは二つホテルを所有している。

 

一つは私の泊まる海に面した

Manele Bay。

もう一つがラナイシティからさらに標高が高い

Koele Rodge。

周りには牧場があり馬が飼われていて、標高が500m以上でハワイにありながら涼しい。

ホテルのロビーには暖炉が2個設置されているくらいだ。

この頃には土砂降りの雨のため、温かい飲み物を飲みながら暖炉の周りでくつろいでいる人が多くいた。

ホテル内を歩いて散策。

出会ったおじさんはアラスカから来ていて、ラナイだけで10回ほど、ハワイには35回も来ているらしい。

ツワモノはどこにでもい る。

 

〜 Tips 4 ~

ラナイ島の道路事情

ホテルを離れ次の目的地へ出発。

ここまではすべて舗装の道だったが、 実はラナイの道の多くは未舗装だ。

地図をみるとわかりやすいのだが

ラナイシティを中心に数本の道が放射状に伸びている。

その道は海岸に到達すると最後には行き止まりになる。

つまり来た道を帰るしかない作りになっているのだ。
ラナイの数少ない観光スポットは大半がその道沿い、及び終点付近

(突き当たりは海岸)なのだが、とにかく道が悪い。

レンタカーはほとんどが4WD。

その4WDでさえもコンデションが悪いと埋まって出られなくなるらしいのだ。

以前走ったマウイ島・ハナ・ハイウェイの恐怖が蘇る。

 

目指したのは "Shipwreck Beach"。

“Shipwreck”とは「難破船」の事。

昔、座礁した船が今も朽ち果てたままの形でそこに取り残されている。

時より雨の勢いが増す中、舗装の道が続く。

風が強いが雲の切れ間から海岸が見えてきた。

遠くに対岸のモロカイ島が見える。

「あれ?意外と道路も舗装されていてきれいじゃないか・・・これなら行けるぞ!」。

と思ったのも束の間、舗装は切れ、ついに我々に牙をむきだした!

土の路面はデコボコだらけ。

雨の影響で水たまりができ、泥をかぶりながらの走行。

走れればいいのだが問題は埋まった時だ。

ここまではコエレロッジから一台の対向車にも出会っていない。

前方を走る車も無い。

時より住民らしき車は止まっているが人は乗っていず。

ここで埋まったら、

 

どうやって脱出するのか?

どうやって知らせるのか??

 

携帯は持って行ってない。

どこが限界、行き止まりなのかわからず恐る恐ると車を進める。

すると! ご丁寧に"Shipwreck"の石標が現れた。

でも船は見えない。

車を止めてそこから歩く。

百メートルほどで海岸の先に錆びた鉄の塊が海の上に見えてきた。

ジャックスパローが現れそうな船体だ。

ちょっと感動。

 

『中森明菜の「難破船」ってどんな曲だっけ?』

ハワイの海を見ながら、一人考えてた。

第二次世界大戦時に座礁したままの船らしい。

 

車に戻り海岸沿いの悪路を戻る。

実は途中に分岐があってそこを左折してきたのだが、今度は逆側に向かってみることにした。

完全なる「コワイモノミタサ」。

かみさんは「もう戻ろうよぉ・・・」と極めて普通の言葉を漏らす。

水たまりにハンドルを取られながら突き進むが

(とにかく人っ子一人もいない)

時々車を切り返して戻っている跡が点在。

流石に怖くなって引き返すことを決意、車の向きを変えようとしたところ

 

「ズルッ!・・・」、

 

「ん?・やっちまったかな・・・汗・・。」

雪道で経験があると思うがアクセルを踏めば踏むほどタイヤは空回りし穴が掘れて行くだけで脱出が困難になる。
軽く踏みながら前後に揺さぶって脱出を図るのが安全だ。
しかし前も後ろも横ずれを起こすだけで進まない。

 

「マ、マズイ・・・・・(ドキドキ)」

 

一発勝負で思いっきりバックギヤでアクセルを踏んでみた。

泥を巻き上げながら後ろに下がった。

今度はドライブに入れて一気に前進!

何とか脱出に成功!!

迷うことはない!ドキドキを悟られないように平静を装って来た道を戻ったのだった。
ダメかと思った・・・

 

再びラナイシティの町を通過。

今度は泊まっているホテル方向ではなく、空港方向へと走る。

ホテルへは途中 440号で左へ入るのだがあくまでも真っ直ぐ。

地図で見ると南西だろうか。

港が有るらしい。

ラナイシティの他にも人が住む町があるのか?

もはや惑星探査並みの不思議感いっぱいの場所。

宇宙飛行士の気分である。

(最も宇宙飛行士は情報がそろって飛んでるんだろうから、それ以上か?)

 

〜 Tips 5 ~

ラナイ島の天気

とにかく風が強い。一日中絶えず吹き続いている。

ポンコツのキャンバストップのジープを借りたため、幌の締まり具合が悪く、耐えずバタつく。

この時期はいつもこうなのか、今回たまたまなのかわからない。

(数日前にフィリピンで台風があって大きな被害が出た影響か)

夜も嵐のような風が吹き、ホテルの中庭などは折れたパームツリーの巨大な枝が散乱していてスタッフがずっと片付けに追われていたり、ホテルの正面玄関の大きな扉が閉鎖されていたり、風の影響をもろに受けている。

加えて雨が降るともはや寒いくらいだ。

ちなみにスマホのアプリでその場の天気を見ると、見たことのない畦った(うねった)波のマークと気温「21度」と表示された。

ただ着いた時から雨が降っている印象だが、その割りに植物が育っていない。

特に背の高い植物は限られていてノーフォークパインツリーが圧倒的に多く、南国ではよく見られる背の高い植物代表パームツリーがあまりない。

島の西側の斜面は機内から見る限り一面赤土、いわゆる粘土質がムキ出し。

枯れ草のような緑の薄い植物がその上を覆っている。

後で知ることになるのだが、マネレ・ベイ地区は年間 15インチ(約380ミリ)しか雨が降らないのだそう。札幌で1、100ミリ、日本の平均で約1、600ミリなのでかなり少ない。

「暑い」、「緑が濃い、南国の国ハワイ」

とは違う景色が広がるラナイ島である。

さて話を戻そう。

空港も越えてさらに海に向かって走る。

町は・・・やはり無い。

家は・・・やはり無い。

何も無い。

あるのは何処かへと続く道のみ。

風は強いままだが、青空が出て景色はキレイ。

眼下には海しかない。

他の島は一切見えない。

終点は「港」だった。

港と言っても豊漁で賑わう港ではなく、工業用の港。

大型の重機に石油関係の会社の看板があったが日曜のため人の気配無し。

突風が吹き続ける海岸は港として一応整備されているようだが、いきなり「太平洋」と言う外洋。(防波堤など一切なし)

荒れ狂った波が、周囲に広がる黒いゴツゴツした岩だらけの海岸に叩きつけている。

また虹が見えた。

5分ほどでその場を後にした。

きれいで見とれるが、寒くて見ていられなかった。

 

ホテルへ戻ることに。

行こうと思えば他に行くところはあるのだが、

ガイドブックに乗る観光地は悪路を走り抜けた末にある。

これから日が暮れて行く事を考えると向かうのは危険だ。

ちなみにマウイ島ハナハイウェイと同様、

「街灯」は一切無い。

崖を落ちても気がつかれるのは明日以降。

 

〜〜・・という事は・・

車の返却に来ない迷惑な客。

ホテルもチェックアウトに現れない。

2360号室を確認したら荷物は置きっ放し。

・・・ってことで島の警察が久しぶりの事件で大捜索・・・。

〜〜・・となる・・

素直にホテルに戻りましょう。

まだ明るいのだが天候は回復しない。

雲の切れ間から日は射すのだが風が相変わらず強い。

歩いていける近場のポイントも明日にした。

戦意完全喪失。

 

部屋のラナイから (この場合の「ラナイ」とはベランダの意)

夕日を眺めながらのんびり。

それも寒いのでほどほどで退却。

風の音が疲れる一日だった。

 

〜 Tips  6 ~

旅に出て、「行かなければならない」と思うことは止めた。「もう一生、来ることはないから・・・」とあれもこれも欲しがるのは悪いクセ。全てが予定通り行くならこんな人生になってない。笑

 

行けなかった場所は「また今度」。予定外の「虹」にも「また今度会える」。それでイイのだ。

 

About Lanai Island

 

ハワイ諸島の中央に位置する島で、面積はオアフ島の4分の1ほど。ハワイ諸島8島の中で6番目の大きさだが、7番目のニイハウ島と8番目のカホオラウェ島は一般の観光客が原則立ち入り禁止のためハワイ諸島の中で観光宿泊が出来る一番小さな島だ。

人口は3,000人前後。

街はラナイシティのみで、ほぼすべての人がここに住む。舗装道路は約40キロしか無く、それ以外は赤土のダート道路。ラナイシティを中心にして4方向に道が延び、海岸で行き止まりとなる。(若干ビーチ沿いのダート道はあるが、恐ろしくて進めない!)道路の終着点以外の海岸線は高く切り立った崖が多く、いわゆるビーチは少ない。

ラナイシティは標高500メートル前後(藻岩山くらい)の高地にあり、ハワイでありながら涼しいため(平均最高気温は24度くら い)、ザ・ロッジ・アット・コエレには暖炉が設置されている。私が行った時はびっくりするくらいの雨と風の日もあったが、平均的に見て雨量は多くはなく乾燥している。

植林したノーフォークツリーやパームツリーをのぞくと、大半の土地に低木しか生えていない。

 

このラナイ島は近年に入ってから開拓される。それも個人所有(企業所有)で現在に至っている。20世紀に入ってからパイナップルで知られる企業「ドール社」のジム・ドールが牧場主の宣教師一族から買い取り、パイナップル農園として開墾。その後1960年代にドール社はハワイの5大財閥の一つと言われたキャッスル&クック社に買収され、ラナイ島の98%の土地を所有するに至る。しかしパイナップル産業はハワイからアジア諸国などへ移り撤退。(1994年を最後にラナイ島での生産は中止に)キャッスル&クック社は観光産業へと方針転換。高原にあるザ・ロッジ・アット・コエレとビーチサイドのラナイ・アット・マネレ・ベイおよび隣接するゴルフ場を建設。現在、フォーシーズンズが経営している。

2012年、オラクル・コーポレーションのCEOラリー・エリソンはキャッスル&クック社からこの島の98%を購入、2013年には定期便航空会社アイランドエアーも買収し、現在に至っている。

所有者は変わっても、100年前の自然がそのまま残り、

そのほとんどが未開発のまま維持されていると言っていいだろう。

野生の七面鳥(ワイルドターキー)。でかい。

 

Day 3  11月11日(月)  ラナイ島最終日。

恥ずかしいのでもう書くことをやめましたが、

今年も「時差ボケ」です。

昨日も今日も3時前後に目が覚めて、また寝るの繰り返し。

書いてる今も午前4時に目が覚めて2時間ほど経っている。

まだ日が上らない。

 

ラナイ島最終日。

午前中にチェックアウト、レンタカーを返却し、シャトルバスに乗って空港へ行く予定。

昨日のうちにホテルのコンシェルジュに聞いて大丈夫のはず。

あまりにも英語が通じないのでペンを持ってデスクにでかけて書いて何度も確認をした。

乗り遅れたらホノルルに戻れなくなる。

部屋でラナイ(ベランダ)に出て景色を見ていたら、イルカが内海に遊びにきた。

ドルフィンジャンプを私にひとしきり見せつけて、何もなかったかのように「無言で」沖に帰って行った。

クールな奴らだ。

 

それにしても予想はしていたが、日本人に一度も会わなかった。

厳密に言うと「日本から来た日本人には」か。

同じ便でラナイに入った祖母、若い夫婦、3歳&乳児(孫)2人の家族。

私の妻には日本語で話していたが、家族の会話は全て英語。

おばあちゃんも英語。

孫も英語。

アジア系で出会ったのは、この日系ハワイアンファミリーのみ。

 

〜 Tips 7 ~

あえて言うならアジア系の人に会わなかった。

昨日会ったアラスカからの人は何で10回も来ているのに、日本人やアジア系は限りなくいないのか?考えるに、答えは「買い物ができないから」じゃないだろうか?

日本人旅行客にとってハワイが人気ナンバーワンである理由は「常夏」であるからだけではない。だったら近いグアムの方が圧倒的に利便性がいい。今のハワイ人気に拍車をかけたのは80年代以降続く、ファッションブランドブームとその需要に応えた圧倒的な量の店舗だろう。もちろんラナイに観光客が少ないのは、利便性、観光名所が少ない事もあるが。


100年以上前に日本人達が夢を見てハワイへ入植した。しかし待っていたのは砂糖キビ畑での辛い毎日。 それでも必死に働き、子供を育てる。二世、三世たちは太平洋戦争を通じ、日本とアメリカの間で己のアイデンティティーに揺れる。
そんな歴史などに興味のない我々バブル世代以降の多くが買い物と強い日差しを求めて太平洋のど真ん中にやってくるのだ。 ここ2年は急激に中国、韓国からの旅行者が増えている。ルイヴィトンでは聞こえる声は中国語が多くなった。 偉そうに言うわけではないが、多分80年代以降の日本人の歩みと同じ道をたどって行くのだろう。 日本、中国、韓国・・・裕福になったそれらの国の人たちにとってはラナイ島はハワイであってハワイではない別世界なのだ。
欧米の人たちの過ごす「バカンス・スタイル」に近づく時はくるのだろうか?

 

昨日までの荒れた天気と強風は嘘のよう。

快晴、無風。

夜明け前に起床、歩いていける観光名所 “Sweet Heart Rock” へ。

ホテルの前に広がるフロポエ・ビーチを横断。

随分と明るくなってきたがまだ午前6時過ぎ。

ジョギングする人が一人いるだけ。

数百メートルの白砂のビーチ(おそらくホテルがいれた砂だろう)を通り過ぎ海岸線を歩くと冷えた溶岩と赤土の岬の突端に辿り着く。

そこから見えるのが「小さな島」というか、

『大きな岩』。

Sweet Heart Rock 。

ちょうど朝日が水平線から上がってくる時間。

 

静寂のひと時。

徐々に明るさが増して行き、火山岩の赤土の大地をより赤く染めあげる。

青い海とのコントラストが見た事の無い世界を作り上げる。

 

約1時間ほど滞在し部屋に戻る。

荷物の準備をし、2日半お世話になったホテルとお別れ。

その後ポンコツレンタカーにむりやり荷物を積み込み出発。

日曜日で大半が休みだったラナイシティの店を再び散歩しながらラナイシティで人気の店の一つ、ブルージンジャーカフェへ行き、朝食。

ガソリンを入れてレンタカーを返し、シャトルバスで空港へ。

 

〜 Tips 8 ~    

今回ラナイ迄載った飛行機はIsland Airのプロペラ機。日本人でも狭いと感じるサイズにほぼ満席状態で出発した。 帰りは若干少なめで席に余裕があった。ちなみに座席指定はない。早いもの順番で好きなところへ座る。 ホノルルーラナイは約30分。チケットはHPで事前に購入。ただし買う時期はもちろんだが一日の中でも搭乗時間で大きく料金が変わる。 インターアイランド (島を結ぶ) 航空会社はハワイアンエアーはもちろんメサ航空 (Go!)、mokulele airline などがあるが全ての島に全ての航空会社が就航しているわけではない。 各社チェックして乗り継ごう。ちなみに国際線の到着後ハワイアンは隣の建物まで移動するのだが、その他の会社はさらに奥にある小さな建物が使用される。 国際線の建物からはかなり遠いので大変かも知れない。

 

この日搭乗した飛行機は大変だった。

後ろの席に行きもいっしょだった日系の家族が乗り合わせた。

子供の虫の居所が悪く泣きっぱなし。

パパが抱いていれば泣き止むのだが、シートベルトをすると泣き出す。

それも ハンパではない絶叫。

狭い機体に響き渡る泣き声。

おとうさん、おかあさん、おばあちゃんもなんとかなだめようとするが、ベルトをすると泣き始める。

しかも当然ながらCAはシートベルトをするように注意をし続ける。

しまいには乳児の弟までがつられて泣き出し大合唱。

約30分の間、着陸するまで結局泣き続けた。

着陸後、おばあちゃんは機内アナウンスばりに流暢な英語で他の乗客に、

「大変申し訳ない。初めて飛行機に乗ったので怖かったようだ。

ほんとうにごめんなさい。」と謝る。

 

なかなか言えないよなぁ。

子供は泣くのが仕事。

私は子どもに「Good Job!」と笑って、サムズアップした。

家族はホッとしているようだった。

しかしこれが国際線だったら・・・考えるだけでも恐ろしい。

ラナイの旅はこれまた大変なエンディングだったが、飛行機を降りると再び綺麗な虹が空港にかかっていた。

舞台はオアフ長、ワイキキへ移る。

 

Day 3  11月11日(月)  オアフ島に移動。

ホノルル空港からタクシーでワイキキへ。

タクシー代もずいぶん上がった。

料金が約41ドルチップで7ドルの計48ドル。

ワイキキの天気はいい。

車中、山側にはずっと虹が見えた。

ホテルにチェックイン。

いつものホテルなので慣れたもの。

 

ところが!フロントに行くと、

「満室状態で希望の部屋が取れない。」

という。

 

それでも仕方が無く部屋に入るとビックリ!

どど〜〜〜ん!

 

まるで牢屋。

それでも仕方が無く部屋に入るとビックリ!

ラナイ(ベランダ)に工事現場で見る支柱の鉄パイプが所狭しと立てられている!

しかも当然ながら、ラナイに出られない!(危険だから)
さらには以前も同じ部屋で変えてもらったのだが、
エレベーターの隣の部屋。
一日中うるさくて大変。
たまらず変更を願い出ると、

「全く空き室がなく3日後の朝まで変更できない。」
と言う。
それ以上の文句はクレーマーになってしまう。
事情がわかったので引き下がったが、その時に言われたのが

「末尾が01と02の部屋は各階全てで工事用支柱がある。」

とのことだった。

あとで外に出た際見てみると、支柱は 私の泊まった部屋含めて「3部屋」しかなかった。

総客室数1,229室の巨大ホテルの中、

なんで3部屋しかないあの部屋なのか?

運がいいのか、悪いのか?

(悪いに決まってる)

 

実はワイキキで日本からの知人と合流した。

彼らはこの日の朝についた。

もともとハワイに住んでいたことがある男性で

「レンタカーを借りているのでいろんなところに行きましょう」と言ってくれていた。

夕食の約束をして別れ、私はメインストリートのカラカウア通りの散歩にでかける。

相変わらず混み合うハワイの中心部ワイキキ。

ラナイ島と比べるとその違いにびっくりする。

北海道の田舎街から六本木に来たような感覚。

夕食は四人で中華を食べに。

人気の中華料理店「フック・ユエン」。

ロブスター炒めが美味い店として知られている。

散々注文して「これでもか!」というくらい食べているのに安い。

1人20ドルちょっと。

アメリカはここがすごい。

食後、しばらく混み合うカラカウア通りを散策、ホテルへ戻る。

移動疲れか、あっという間に就寝。

 

Day 4  11月12日(火)  日本人に会わないツアー。

午前9時。(もちろん時差ぼけは継続中で、今朝も一度5時に目が覚めた。)

この日は朝からオアフ島ドライブ。

これまでもほぼ全てのエリアを車で走ってきたが、今回のテーマはズバリ!

「日本人に会わない場所巡り」。

日本人のいないラナイ島ならともかく、オアフ島、しかもホノルル周辺で日本人観光客に出会わずに観光できるのか?

多くの観光客が行く、すっかりお馴染みの人気店には目もくれず、向かうのは

 

「こんなところにこんな店が!」

「しかも美味い!!」

「これは次に来る人にぜひ教えたい!」

 

そんな場所を厳選してみました。

まずは朝食へ。

朝食はまだまだ序の口。

比較的日本人にも知られているカフェ、

 "Liliha Bakery" へ。

「ベーカリー」と付くからパンも売っているのだが、カウンターがあって卵料理にソーセージ、ベーコンなどの朝食も頂ける。オススメはココパフ。クリームのたっぷり入ったシュークリームなのだが、さらに上に甘いココナツクリームがのる。2口   (フタクチ )サイズなのだが、半分ずつ食べると手がクリームでベタベタになる。

のココパフはお出かけの際に手土産としても重宝される点では、レナーズのマラサダに似ている。6個入りや12個入りで購入できるし、中身を他のケーキ類と混ぜてもいい。「箱買い」をお勧めいたします。

(もちろん2人では全部食べきるのはきびしいかも)

 

続いて向かったのはハワイにある神社。

しかもあの有名な "Izumo Taisha"

(出雲大社) です。

 

出雲大社の分社、

つまり出雲大社ハワイ支店ですね、

ハイ。

ハワイと神社?と驚く事なかれ。

分院の創祀は1906年(明治39年)。

日系移民が130年の歴史を持つように、

日本の伝統文化や習慣、行事なども同様に

長い歴史を異国の地で刻んでいるのです。

とは言えそこは南国ハワイ。

良〜く見るとそこかしこに

「ん!?」

というところがあったり致します。

鳥居の両サイドにある狛犬は首にレイがかかっているのはご愛嬌。
神社内部の出雲大社のマークは
ネオン管で作られていて、さながらバーのようでもある。

​神社の伝統とトロピカルの融合。

 

〜 Tips 9 ~
今回購入して、好評だったのが出雲大社ハワイ分院の「お守り」。一見普通のお守りなのだが英語も書かれていて、チャーミング。 種類も豊富で交通安全や安産、恋愛、など様々。チョコレートとは違うお土産としてぜひオススメします。 ちなみに恋愛お守りには ”LOVE” と刺繍されています。
確か8ドルくらいからだった。

 

神職さんに少し話を聞きました。
ヒロ(以下:H):「神主さんは転勤でこちらハワイへ?」
神主さん(以下:K):「はい、そうです。」
H:「何代目の神主さんですか?」
K:「3代目です。」
H:「こちらに来てどのくらいですか?」
K:「20数年です。」
H:「希望を出されたんですか?」
K:「いえ、左遷です。」

 

日本と大きく違うのは正月など初詣でに来る人は日本人だけではない。

そこはハワイ、短パン、Tシャツ姿で来るそうだ。

正装して来なさいとは言わないが、そこまで軽装で初詣に行けるのは国内だと、がんばって沖縄くらいか。

写真をパチパチ撮っていたら「映り込みますよ。」って・・・。

 

な、何が(汗)?

何かが 映ってる?!

 

出雲大社で身を清めた後は、正面を流れる川の向こう側にすぐに見える
“Royal Kitchen” へ。
オススメは
「マナプア」
一見コッペパンか?という何の変哲もないパンに見えるが、
たまらなく美味しい一品。

店に着いたらまずは正面のガラスケースの上にある順番待ちの番号札を取り、呼ばれるのを待とう。

あとはオーダーし出来上がりを待つ。

揚げたマナプアは中身が数種類ある。チャーシューなど惣菜系からココナッツクリームなどスイーツまでいろいろ食べ比べてみよう。どれも美味しいし、バカにしていたコッペパンのような生地はすごく柔らかく絶品!

これまたとにかく食べてもらいたい一品です。

 

続いて向かったのは日本人のいないビーチ。
ワイキキビーチ、アラモアナビーチに始まり、

ホノルル周辺にはたくさんのビーチがある。


そんな中で日本人にはあまり知られていないが、いいビーチがたくさん。
行こうとしているのは

“Sand Island State Park”。

入ってすぐには海を挟んでアロハタワーが見える公園がある。

閑静な公園だが砂浜ではなく土。

ちょっとがっかりするがココで引き返してはいけない。

奥に進むと、このサンド島を囲むようにビーチが広がるのだ。

遠くにはダウンタウン、ワイキキビーチ、

そしてダイヤモンドヘッドが一望できるポジションにある。

 

随所にトイレは完備。使い勝手は良さそう。

天気のいい昼間だが平日はビーチサイドに人は一人もいない。

もったいないとも言うべきビーチなのだ。

本来は寝そべり、のんびりしたいとこだが、

移動。

次に向かったのは果てし無く続く直線道路の行き止まりにある場所。

実はこの行き止まりの先にあるのはホノルル国際空港。

つまりハワイに来る人が最初に降り立つ場所。と言っても普段見る姿とは違う空港が見られる。行き止まりの先は滑走路なのだ。目の前をほとんど1分間隔くらいで離着陸がくりかえされる。
この日はダイアモンドヘッド側に向かって飛び立った。近距離から見られるので飛行機好きは是非行ってもらいたい場所。

そうでなくてもかなりワクワクして見られるので是非どうぞ。
かみさんも楽しんでいました。

その前の直線道路ラグーンドライブもなかなかアメリカっぽい雰囲気です。

 

〜 Tips 10 ~

ワイキキから空港方面へ。

ニミッツハイウェイからラグーンドライブに入り、約3キロの直線道路を走ったところにある。

金網一つで仕切られた空港、セキュリティは大丈夫なのかしら?

 

サンドアイランドとニミッツハイウェイの交差するところにあるのが、

”Keehi Lagoon Beach Park”。

こちらも平日は「誰もいない」と言ってもいいほど閑散としている。

トイレも完備されていて、カヌーがたくさん置いてあるので週末はロコで混むのかも。

芝生に白砂。

最後に向かったのは日米開戦のきっかけとなった「真珠湾」。
“Pearl Harbor Historic Sites”

ニイタカヤマノボレ、トラトラトラ 、リメンバー・パールハーバーで知られる、真珠湾。

日本は宣戦布告せずに奇襲攻撃をかけたと言われている。

(事実はどうやら違うらしいが)

もちろん歴史好きなら出かけているだろうが、

アメリカにとっては悔しい思い出でもある真珠湾攻撃。

沈没させられたアリゾナ号や、魚雷、日本側の戦艦アカギの模型など、当時の様子などが詳しく説明されている資料館などがある。

有料のところもあるが無料で見られる場所もあるので是非一度は行ってもらいたい。

ただしアメリカにとっては辛い思い出も多いので、日本人が観光気分で「大騒ぎ」するのはやめた方がいいだろう。

かと言って周りのアメリカ人に

「Hey JAP!(怒)」

とかは言われませんからご心配なく。笑

戦艦ミズーリ号(上)

「トラトラトラ」とは

真珠湾奇襲成功を伝える暗号電信。

 

最後に向かったのはもはやハワイオプションの定番中の定番、

「タンタラスの夜景」。

おそらく初ハワイなどで行った人も多いだろう。

私もその一人なのだが、それ以来行っていないので約30年ぶりの見学だ。

今更という気持ちもあったがせっかくなので連れて行ってもらった。

ワイキキのビーチ側から逆側のコオラウ山脈の山裾にあたるタンタラス。

改めて行ってみると結構楽しめる。

夜景は確かに綺麗だ。

ただしこの日は風が強く、三脚なしではブレブレで写真は撮れなかった。

さらに、ガードレールの外側に草木が生い茂っているため、低い三脚では撮影しにくい。

車の屋根などを利用しないといいショットは撮りづらい。

 

と、これでは当然のことながら

「日本人に会わない場所巡りツアー」としては認められない。

実はさらに山頂に向かい、下ってしばらくすると見えてくるのが別名、

「裏夜景」。

空港方向の夜景が楽しめるポイントがある。

駐車場は無く、わかりづらいが気がつく人は気づく、そんな場所だ。

自分で探して見てください。

ちなみに結構パトカーの巡回があるそうですので注意してください。

それ以上に夜は治安が悪い場所でもあるので、

あまり深い時間は行火ない方が良いそうです。

ご注意を。

 

丸一日かけてホノルル周辺を回った「日本人に会わない場所巡りツアー」。

明日はサーファーの聖地、Northshoreへ向かうことにした。

 

Day 5  11月13日(水)  聖地へ

朝8時30分ホテルを出発。

待ち合わせ前に買ったハイアット・リージェンシーホテルの中にあるコーヒーショップ "Kimo Beans" のココモカフリーズを飲みながらドライブスタート。

まずは腹ごしらえでこれまた日本人がいないドライブインへ。

“Meg's Drive In”。
古き良きアメリカを彷彿させる雰囲気を持つドライブインで、
近所で働く人向けって感じ。
ニミッツハイウェイから少し入ったところで、

ほぼ日本人などくるはずもない場所にある。
 

私はスクランブルエッグ、ポーチュギースソーセージとライスの朝食セットを頼んだ。

 

来る途中、有刺鉄線に囲まれた建物を発見。

なんだ?と思って見ていると刑務所だった。グーグルマップで帰国後見てみたら、刑務所内にはちょっとした公園か学校の校庭みたいなものまで。

確かに映画で見るアメリカの刑務所ってなんだか自由で雰囲気が明るいが、気のせいか、ハワイはそんなアメリカの刑務所の中でも群を抜いて自由な気がする。

私はスクランブルエッグ、ポーチュギースソーセージとライスの朝食セットを頼んだ。

 

続いて目的地ノースショアへ。

この時期に行われるサーフィンの世界大会『トリプルクラウン』と時期がぶつかっているため、混雑が予想されるので行くのがためらわれたが、せっかくなので出かけることに。

ノース周辺は一本道のため渋滞にハマると逃げ道がない。

大会は波のコンデションで、行われたり中止になったりするので複数日準備されている。H1からH2、そして99号カメハメハ・ハイウェイを北上。

ワイアルアとハレイワの分岐手前くらいから前方を見ると、海が霞んでいて白波が立っている。

我々の周辺は青空が広がり風もないのに、数キロ先では霞む海。

よく見ると海でうねる波が水しぶきをあげ、

細かい粒となって街の方に飛散しているようだ。

何度も通ったノースだが、風も強くないのに見たこともない荒れ方。

ハレイワの街の中へ。
オールドタウンは何事も無いように平穏。
青空が広がり、風もなく穏やか。
車を止めて散策に。
ノースショア・マーケットプレイスと、レインボーシェイブアイスでおなじみのマツモトグローサリーへ。

相変わらずすごい人。

ただし再開発が進んでいて隣の駐車場、さらにはその隣にあったaoki shave iceがなくなっていた。

古き良き時代のハレイワの街並みが消えて行くのはとてもさみしい。

老舗のサーフショップ、サーフンシーに立ち寄りオーナーと立ち話をする。

今日は大会は中止になったらしい。

 

さらに北上。

ハレイワ・ビーチパークから見える海はかなり荒れている。

結構な確率でウミガメが見られるラニアケアビーチも波が押し寄せていて、ウミガメが甲羅干ししするには騒々しすぎ。

とにかく大きな波が北海岸に押し寄せている。

どうやら波が崩れてしまっていて、サーフィンには向かないようだ。
ここまでは流石にサーファーの姿を見られなかったのだが、
ようやくイカれたサーファーに会えたのが

”Waimea Beach” だ。

 

他のポイントはコンディションが悪く、サーファーはほとんど見かけなかったが、ワイメアでは数十人のサーファーが沖に出ていた。

波の高さは7〜10mほどだろうか。

波の頂点は風で煽られて細かい霧状になり吹き上げられている中、一気に岸方向にへ向かって急斜面を滑り降りてくる。

見渡せるようなポイントには所狭しとカメラマンや観光客がひしめく。

その頃隣のビーチでは一人行方不明となったようで捜索が開始されていた。

周辺では救急車に消防車が数台、パトカー、そして沖には捜索ヘリ2機、ライフガードの水上バイクも出動。

数時間に渡り捜索は続いたが見つからなかったらしい。

後で聞くと、たいていの場合波に飲み込まれると叩きつけられて気絶するケースが多く、上を向いていれば助かる時もあるが大半はうつ伏せとなり、そのまま溺死してしまうという。

彼らにとっては常に挑戦欲を掻き立てられるノースショアの波ではあるが、死と常に隣り合わせでもある恐ろしい波なのだ。

絶好の被写体であるのには間違いないけど。

次に向かったのは

”Alii's Beach”。

今日本当は行われる予定だった三大サーフィン大会トリプルクラウンの開幕戦

"Reef Hawaiian Pro" の会場だ。
会場には大きなステージや小屋が建てられ本番を待つだけ。
しかしあいにくのコンディションで中止に。
おかげでブラブラしながら欲しかった大会記念 Tシャツを手に入れることが出来た。
ショップの女性が素敵な女性だった。

 

遅いランチタイム。

 

まずは有名になって日本に支店も出す。

”Kua Aina” でハンバーガーを買い、

(クアアイナは本場ハワイには2店舗しか無いのに、なぜか日本に20店舗もある。作り過ぎだろう!)

ランチワゴンの並ぶ場所でジョバンニのシュリンプ・スキャンピを購入、

夫婦で半分づつ分けた。

 

ジョバンニのシュリンプスキャンピ、

正直言って少し量が減ったかも。

最初行った頃は11ドルだったのに今は13ドル。

物価も上がってるだろうけど儲けに走ったか。

 

味は文句なしだけど。

ワイキキへ。途中でワイケレ・ショッピングセンターに数時間立ち寄る。

とにかくどこでも買い物をするところは巨大。

「ちょっと立ち寄る」と言っても回ると数時間はかかる。そして、疲れる。ホテルの近くのフードモールで軽く食事をとり、ホテルへ戻る。

 

Day 6  11月14日(木) パナマの休日。

さすがに毎日強行軍の観光をしてきたので疲労がたまった。
この日は朝からほぼノープラン。
朝食はカフェ “Kimo Beans” のスクランブルエッグと、
ハムが挟まった、クロワッサンサンドにココモカ・フリーズ。
ホテルの一階のベンチに座ってのんびりいただく。

昼過ぎ、ハワイに行った時に必ず出演する

FMノースウェーブの番組“ Island Breeze from Hawaii “の出演が決まっていたのでスタジオ・リムを訪れた。

しかし機材トラブルで収録中止に。

夕食の待ち合わせだけして出かける事に。

 “Newt at The Royal” と言うロイヤルハワイアンホテルの中にある店。

以前も紹介した「パナマ帽」の専門店。

(Diary 2009 参照)

ここのパナマ帽は帽子の好きな人なら「人生一度はかぶってみたい」と言うシロモノ。

 

〜 Tips 11 ~

Panama Hat


そもそも「パナマ帽」とは何ぞや?
実は「パナマで作られているからパナマ帽。」・・・・では無い。
高級品と呼ばれるもののほとんどはエクアドル産。
エクアドルは南米赤道直下の国。
エクアドルの「モンテクリスティ」と言う街の近く”Pile”で手作業で作られています。(モンテクリスティで最終行程を行い、仕上げる)
いわゆる伝統文化で、一つのパナマ帽を編み上げるのに高級品になると
半年以上もかかる。

素材はトキヤ草を使用、その繊維が細くなればより高級品となる。

 

イタリアの有名なボルサリーノ製(サッカーの三浦カズがかぶっていたのもボルサリーノ)ともなると100万円近い値がつくものもあるらしい。
と、ここまでの話でいっさい「パナマ」が出てこない。
では、なぜ「パナマ」なのか?と言うと、アメリカのセオドア、ルーズベルト大統領が
(テディベアのエピソードで知られる)「パナマ運河開通式(1914年)に出席した際にかぶっていた事から」と言う説と、「運河での労働者たちが建築中にかぶっていたのを気に入って彼もかぶったから」などがある。

いろいろ調べてみると、どれもかなり曖昧で、中には「1834年セオドア・ルーズベルト大統領が・・・」と書かれているものがあるが、彼は1858年生まれ。

明らかに間違いだと思われる。
どうやら「当時、パナマ運河建設に関わった第26代アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトがかぶっていた」

と言う事からなのが有力説だ。

 

で、だ。

パナマ帽を ”Newt at The Royal” に見に行った。

品のあるひげのJimさんが店主。

とにかく丁寧な接客をする。

頭のサイズを測りちょうどいいサイズでしかも顔の形や体格から一番似合うタイプの帽子をかぶらせてくれる。

つばの広さなどは体格によって合う、合わないがあるらしく、英語がそれほどわからないお客さんにも親切に対応してくれるのだ。

取り扱いの注意(持ち方や濡れた時の対処方法など)や、リボンの交換の仕方もやってみせてくれて、自分でも「練習!」と言ってやらせる。 笑 

本人じゃないと売ってくれないと言う話もある。

何種類かかぶらせてもらったが、一番高いのがなんと!

1、500ドル!!(約15万円)

しかし、その細かさ、柔らかさと言ったら、もはや「麦わら帽」では無い。

(麦わら帽では元々無いのだが)

もちろん、そこまで高くはないものを購入したのだが、まさに一生もの。

しかもリボンは黒以外に交換出来る「柄もの」を付けてくれるのだが、それと同じ柄のアロハシャツまで売っているのだ。(これも欲しい!) 

確かに「たかが帽子に・・・」と言う値段だが、帽子が好きな人は一度はぜひ見に行ってみてください。絶対に気に入ります。

ちなみに購入者はジムさんが必ず写真を撮ります。

私の写真も元007のピアース・ブロスナンや歴代の大統領、昭和天皇に囲まれて貼られているはずです。探してみてください。

 

今回購入したパナマ帽。

「フェドラ」と言う典型的な形のもの。

ちなみにこの帽子が入る頑丈な箱も付いてくるので、日本に帰る際は手荷物で機内持ち込み。

ジムさんによると、フロントの「へこみ」の部分を指で挟んで脱ぐのは厳禁。

「それはカウボーイがテンガロンハットでやる事で、紳士はそこを掴んではいけない」

との事。

いろいろ調べてみると、その部分は傷みやすく極力触れない方がいいらしい。

とは言え、しなやかな素材で出来ているので

多少ゴシゴシ手荒く扱ってもびくともしないのがすごいところ。

と、能書きは良いが・・・

 

一体、いつかぶるつもりなんだろう?俺。

 

アラモアナショッピングセンターに向かい、買い物。
夕食の待ち合わせ時間までは5時間。
「ちょっと時間があるな・・・」と思いながらも土産物などを買って歩くが、
やっぱり長かった。日頃から買い物慣れしていないとさすがに5時間ショッピングは至難の技。
相当時間を持て余し、ゴルフより疲れた。

 

午後8時。
待ち合わせ時間だ。
番組DJの寛子さん(Diary 2010/2011 参照)と息子さんのタマキ君がやってきた。
最後の晩餐は韓国料理の店「Hawaii 678」。
「ハワイ・・・」なんと読むのかわからない。
韓国のコメディアン、カン・ホドンと言う人が開いた新しい店らしい。
店先にはたくさんの人が並んでいる。
そのほとんどの人が韓国人、または韓国系ハワイアン。
つまり「本場の人も楽しめるおいしさ」と言う事だろう。
実際食べてみると、本当に韓国で食べているほどウマい。

素材も味もかなり良い。
みんなで大盛り上がり。


タマキ君は現在12歳だが、人生のほとんどがハワイで暮らしている。
お母さんと話すのは完全に日本語。特に不便はない。
しかし 頭の中で考える事は「英語」でするそう。
普段は学校でももちろん英語だ。
ところがこの時は照れくさいのか、緊張しているのか、

全く英語が会話の中に出てこない。
ちょっとこなれてきたらついつい言ってしまいそうなものだが、いっさい出ない。
つまり頭の中のどこかで完全に分けて考えられるんだろうなぁ。
彼の口から最後まで英語を聞く事は無かった。
バイリンガル特有の才能だろうね。
すごいもんだ。

(2016年:この店はすでに閉店。 "Sura Hawaii" という別名で営業してます。)

夜10時過ぎ。
タマキ君が眠くなってきたのでお開き。
来年の再会を誓って分かれ、ホテルへ戻る。

荷物をスーツケースへ詰め込み、就寝。

 

Day 7  11月15日(金) Epilogue ~ 帰国。

帰国の朝。
この日はいつもさみしい。
機内での体調管理が得意ではない私はすでにワイキキで
ダウンジャケットを着ている。
不思議なもので日本ならあまりにも季節外れの格好は恥ずかしいのだが、外国は基本的に人のことを気にしない。
常夏でダウンジャケットを着て帰る。
ちなみにダウンジャケットはモコモコなので首の座りがよく、機内でも寝やすいのだ。

空港の混雑が近年激しく時間が読めない。
少し早めに出発。
今回は友人が借りたレンタカーを返して空港に向かう。
今回は荷物計量もスムースにパス。
混雑はしていたものの余裕を持ってゲートをくぐる。
軽い朝食を摂り搭乗。

11時55分発 名古屋行き JL793便。
帰りの飛行予定時間9時間20分。
長い。
名古屋経由。
なんで遠回りするのか?毎度思う。

機内ではミッドウェイ環礁の上を通過。
天気が良くて島がキレイに見える。
CAによるとこんなに綺麗に見えるのは珍しいとのこと。
ミッドウェイはもともとハワイ諸島のある位置にあったものが太平洋プレート上を数百万年もかけて移動し、現在の場所に。
やがてハワイ諸島の島々もカムチャッカに向かって移動して行き、小さくなり海底に沈んで行く。

機内では映画をみる。
グランドイリュージョンと
福山雅治主演「真夏の方程式」。
やがて日本領空に。
CA が「富士山がきれいですよ」と教えてくれる。
お見事!


あー帰ってきたんだなぁ。

日本時間午後5時前、名古屋着。
名古屋といえば「ひつまぶし」。

改めて食べると日本食の繊細さがわかる。
うまい。
約2時間で新千歳行きに乗り換え。
午後9時過ぎ初冬の千歳着。
スーツケース2個、ショルダーバッグ1個キャスター付きカメラケース1個、そして帽子箱を持ってJRに乗り換え、札幌へ。
いつもの事ながら、一番疲れるのが千歳から家までの間。
働かなければ来年も行けない!

さぁ、また一年頑張るかぁ!

 

To Be Continued... Next Year.

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