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Hawaii Diary in Oct.2014

残された最後の島、モロカイ島の旅。

 

Day 1  10月25日(土)  Prologue ~ 出発。

いつもの通り、なぜか憂鬱な当日。
と言うのも予約やらなんやらの担当は私でその都度大変。
でもってちゃんとやっているつもりなのだが、何か起きるものだから、
ドキドキを通り越して憂鬱になる。

ラジオ終了後、午後5時半過ぎに札幌駅を出て空港へ。
東京へは9時の飛行機。かなり余裕あり。
羽田乗り換えで11時45分発。一路ホノルルへ。飛行予定時間6時間45分。
今回はいつもの「非常口後ろ」の席を取れず。
しかし新しい777のシートは比較的広く、あまり苦にならなかった。
猿の惑星をしっかり見て、その後トム・クルーズの映画は始まってすぐに爆睡。
(別に映画がつまらなかったわけじゃない)
そのあとはトランスフォーマーを見たが、部分的に記憶が途切れているような・・


3本でほぼ6時間。その後再び睡眠。
最後は着陸の衝撃で目が覚めたので熟睡の中、

ワイキキ国際空港着。

 

Day 10月25日(土)   Prologue ~ モロカイ 到着。

イミグレーション通過後は、この数年でようやく覚えた「インターアイランド」専用の搭乗カウンターへと向かう。
今回向かうのはモロカイ島。

この島にはモクレレ航空と言う小さなセスナサイズの飛行機の航空会社を利用する。

数週間前に事前に予約していたフライトがキャンセルになったと連絡があった。
もちろん自動で振り返られ、ちょっと遅い便に変更されていたが、その際にラストネームが 
"Fukuchi" から "Fukichi" と打ち間違ったようで、予約確認の際に「名前がない!」とカウンターで一悶着。

(そっちで勝手に間違ったんだっつぅの)
いろいろあるものだと思いつつ、しばし待合所で休憩。

飛行機に搭乗するのは8名。満席。

飛行時間は約30分くらい。

離陸後ハナウマ湾、ワイキキ、ダイアモンドヘッドが眼下に見渡せる。

 

海を渡り、オアフの隣にあるのがモロカイ島。東に進む。
島の先が見えて上空に進入。

ほぼ緑と赤土のみの大地が広がる。
住宅どころか建物が点在。

無いに等しい。
横長の島の中央部にある飛行場に着陸した。
飛行機を降りて先導に従って滑走路脇を歩き建物の方に。
扉を越えるといきなりロビー。

そこへ降ろした荷物が届けられ、ベンチの上に並べられる。

順に取ったら終了。
そのまま歩いて5歩のところのレンタカーカウンターで鍵を貰い駐車場へ。
駐車場は荷物を転がし徒歩30秒ってところ。指定の番号のところに。
なんだかスムース。

とってもスムース。

順調すぎるくらい順調。
空港を出て早速新兵器導入。

その名も「グーグルマップ。」


と言うか、実は海外で携帯を使ったことがなかった私。
しかし今回はパケットを安く使えるように調べて準備して出かけました。
その甲斐あって
・・・あれ?
繋がらない!!?
えーっと・・・あれ?

どうやらネット環境が脆弱なようです。泣
 

結局レンタカーでもらった地図でホテル着。

(道自体が少ないので迷わない)
チェックイン。宿泊先はその名も

「モロカイ・ホテル」。

About Molokai Island

別名 ; Friendly Island
主要な8つのハワイ諸島の島のうち5番目に大きな島。
主要8島のちょうど真ん中辺りに位置。
人口約7,000人。
東西に長さ約60キロ、南北に長さ約16キロの横に細長い島。
もともとは二つの島だったが地殻変動によって繋がった。
東部は緑豊か、西部は乾燥、北側は切り立った崖が続いている。
町らしい町は島中央のカウナカカイのみ。
島には信号は一つもなく、ヤシの木より高い建物もない。
人が住み始めたのは紀元450~650年頃と言われていて、ポリネシアから海を渡ってきた。
現在もハワイ先住民の子孫が多く住み、

「最もハワイらしい島」と言われている。
ハワイを代表する伝統文化「フラ」の発祥の地とも言われている。

 

バンガロータイプの施設。

『ガーデンビュー』という部屋だが見えるのは、裏庭と雑草と駐車場
裏庭の見えるバルコニーは柵など無く、いきなり共有スペース。

部屋とバルコニーの間には網戸があって、鎖の錠がひとつ。
クーラー無し。扇風機付き。金庫なし。
まあ、「そういうもんだ」と思えばどうって事なし。

 

ベッドの横のサイドテーブルの上に二つ小さなビニール袋が。

中を見ると、

「耳栓」。

「・・・?」

部屋に入り再び外へ。

向かったのはココナッツグローブという名所。

その昔カメハメハ5世が植えたとされる数千本のヤシの木の一部が今も残されている。

ここからの沈む夕日が素晴らしいらしい。

ただし中には立ち入り禁止。

なぜかというと、

「いつヤシの実が落ちてくるかわからないから」

頭に当たれば確実に死ぬわ。

確かに恐ろしい。

そして日が沈みカウナカカイの町にあるレストランへ。食事はピザ。

理由は「選ぶほど店が無い」。

で、なんとなくBBQチキン頼んだら

「甘~~い」!

照り焼きの甘さではなく、どうもソースがフルーティ。イチゴジャムっぽい。

なんで?!笑

こんな店なのに次から次へと客が来る。

それでもしっかり平らげて、(食べ切った)

土曜日の夜で一番賑わっていたのはピザ屋さんという島。

モロカイ島。この時点で午後7時過ぎ。

島に入ってからは昼寝もせずに起きていたこともあり強烈な睡魔が俺を襲う!

早々と就寝。

 

Day 1.5  10月25日(土) 「耳栓」の意味。

「コケコッコー!!」

激しい鳴き声で起こされる。
隣から聞こえるようなニワトリの鳴き声だ。
「朝か…」と軽い伸びをして目を開き時計を確認する。


『2:00 am』。

「!」

「!?」

「2時? どういうこと?」

なぜ真っ暗な午前2時にニワトリが鳴くのか?
俺が泣きたい。

「耳栓」の理由がこの時明らかに。

 

Day 2 10月26日(日)  モロカイ島内観光。

眠りから目が覚めた。

9時起床。

ニワトリに起こされたものの、その後順調に眠りについた。

ホテルのロビーに行くとコーヒーとパンが用意してあった。

毎朝無料でついてくる。

好きなだけ食べて、飲んでいい。

​部屋に持ち帰りいただく。

 

今日は島の東に延びる道路を走破する予定。
450号(通称:カメハメハ5世ハイウェイ)は島の南側の海岸に沿って走る。
途中ダミアン神父のゆかりの教会セント・ジョセフ教会や、
アワー・レディー・オブ・ソロー・カソリックチャーチなどに立ち寄り、 

ダミアン神父については後述する)
目指すは終点、ハラワ渓谷。

道路は舗装されているものの、

島特有の細い道に。

行き交う車がほとんどないため結果的に問題はなかったが、 相変わらず緊張感漂うドライブだ。

地元の人たちはこの道をどれくらいの頻度で行き来しているのだろう?
終点ハラワ渓谷は断崖絶壁。


その北側に小さなビーチがある。
砂浜と石が混じったビーチで、
泳ぐのにはあまり適さない。
入り江になっているので波はそれほどは高くない。

カミさんはビーサンだったので平気だったが私はキャンバス地の靴を履いていたので裸足で海に入ったがツボマッサージ並みの痛さだった。

 

その後、来た道を再び戻る。

 

〜 Tips 1 〜

ハワイのほとんどの島々は「外周を一周すること」ができない。

道路が島全体を周回していないのだ。

山や崖があることも理由の一つだし、ビッグ・アイランドの場合は火山活動中のため、オアフ島はカエナ岬が「自然保護区」として指定されていて、車での侵入が禁止されている。

一方、ラナイ島やモロカイ島は人がそれほどいないために道路が発達していないとも言える。

横に長い島は一本道が横断していて、その中心に近い部分に「街」がある。

 

モロカイ島はラナイ島に比べて若干大きいが、信号機は一つもない。

住民は島全体に点在して住んでいてハラワ渓谷までに海沿いにも多くの住宅があり、日曜日はBBQや釣りを楽しむ姿が見られた。日本で見られるようなゲームセンターや遊園地、レジャー施設はない。

モロカイ住民のほとんどがポリネシア系の末裔。

つまり「生粋」のハワイアンである。

 

途中ビーチで停車しながら車を順調に走らせ往復、再びホテルの前を通過し中心地カウラカカイへ。

多くの住民の台所であり、島の中心でもあるのだが日曜日は休む。

見事に休み。

どこもやってない。
 

今度は北上し「カラウパパ展望台」に向かう。
470号を上がっていくと着くのが展望台。
そこからは「カラウパパ半島」が一望できる。

絶景ポイントだ。

 

〜 Tips 2 〜

Kalaupapa

この半島には悲しい歴史がある。

1800年代後半、ハワイでハンセン病が大流行し、その患者が様々な他の島から搬送、隔離されたのである。

上の写真を見ればわかるが、三角形の半島の二辺は海に面し、もう一辺は断崖絶壁。

つまりここに運ばれたら逃げ場はない。

その地に赴き、収容された患者さんたちの世話をしたのがベルギー人のダミアン神父でした。

彼は16年にもわたって献身的にハンセン病患者とともにこの地で病気と闘い、患者の生活改善のために奔走しました。

しかし、最期は神父本人もハンセン病に罹り、亡くなっています。

1946年に治療法は見つかり、今は治る病気になりましたが、現在もこの半島には元ハンセン病患者の方々が20人前後残っているそうで、(自らの意思で残った)国立公園の管理者などとともに生活を続けている。

1866年から1969年までの100年余りの間には収容された患者のうち約8、000人が亡くなったと言われています。

日系人も数多く収容されていて、ダミアン神父が罹患後、最後に治療を受けたのは「後藤昌直」と言う日本人医師だったそうです。

半島内へは16歳以上の健康な人は入ることができるが、ツアーに申し込むことが必要で、個人、単独での立ち入りは禁止。

地形上、もちろん車では行けず、ミュール(ロバとウマの交雑種)に乗っていくツアーなどがある。

 

展望台の駐車場に戻ると、反対方向に矢印のついた標識を発見。

”Phallic Rock”

と書いてある。
なんだかわからないが行ってみることに。

鬱蒼と生い茂る林の中を登っていく。

標高が高く、木陰が多いことでひんやりする。

そこに
現れたのは!

 

 

『岩』。

しかも、私の見立てが間違っていなければ、

「あれ」のカタチ。

“Phallic”とは辞書によると、「男根」のことを指す。

ハワイに限らず、色々なところでこのような信仰は見受けられる。
もちろん歴史的なもので、先住民が崇拝していたらしい。

一応、拝んでおいた。

時間はまだたっぷりあるので予定外、今度は西の端まで行くことに。
日没には間に合いそうだ。

西海岸はサンセットが拝める。

問題は所要時間。
果たして間に合うのか?

向かうのは

”Papohaku Beach”

(パポハク・ビーチ)
降りたった空港の前の通りを走り抜け、道路の終わり、突き当りまで進んでみる。

この辺りは景色が綺麗なので住宅地(別荘?)として造成する予定だったのか、道路は舗装されているのだが、売れ行きは期待はずれだったようで、高級住宅が少しあるだけで、ほとんどが未開発の荒れ地。

 

標識も無く、どこを走っているのかわからない。
ビーチはあったが行きたかった白砂の長い海岸のビーチとは違う入り江があった。

再び車で少し戻る。

次のビーチは岩だらけ。

なかなか目的地に着かない。

日の沈む時間が徐々に迫る。

期待しないで曲がったビーチへと続く道。

駐車場に停めると、白砂が木の間から見える。

恐る恐る近づくと驚いた。
 


一面白砂。

白砂は足跡さえ残されていない。

強い風が作り出す風紋が

「枯山水」の庭のようだ。

陽が静かに沈んでいく。
はしゃぐカップルは

三脚を立てて彼女の写真を撮り続ける。

彼女も水着になって彼氏の思いに応え、波と戯れる。

まわりにいる他人のことなんて全然気にする様子なし。

その間にも、水平線の色が変わっていく。

 

青から黄色、オレンジ…

パホパク・ビーチの砂浜は

ハワイで「一番長い白砂海岸」
島に来るときに乗ったセスナから見えた。

 

確かに長く、綺麗な海岸だ。

しかも、ほとんど人のいない

プライベートビーチ。
日が沈むまでのショーを楽しみ、ホテルにもどることに。
 

ほとんど走る車はない。
向かいから来る対向車もないし、
街灯もない。

もちろん信号もない。
 

大満足で帰途に着いた。

 

Day 3  10月27日(月)   シャッターチャンス。

のんびり目を覚ます。
これまでと一緒で毎日無料のコーヒーとマフィンを頂き、ホテル内を散策。
雲が多いが青空が広がり、まぁまぁの天気。

 

朝は「ほうき」を掃く音で始まる。
落ちたハイビスカスをほうきではいて集める作業だ。

毎朝ものすごい数のハイビスカスがそこらじゅうに散らばっている。

(もったいなくも感じる)
本当はこのままのんびり1日過ごすのもいいのだが、
そこは日本人のサガ、短い期間でも行ってないところがあると気になって仕方がない。
一箇所だけ行っていないところがあったのでそこへ向かうことに。

 

どうやら山の上にある展望台。

"Waikolu Lookout"(ワイコル展望台)

 

中心部から空港に向かう道の途中から脇道に。

いきなり赤土の非舗装道路だ。

道は一車線。

両側は崖だったり壁だったりで所々に待機所があるだけ。
最初のうちはそれでも良かったが山奥に入っていくと雨が降り出した。

赤土は粘土のため水分を含むとヌルヌルとして滑りやすくなり走りづらい。

そのためこの道は天気の悪いときは行かないように促している。
道はクネクネでズルズル、さらにどこまで走ればいいのか見当がつかない。
途中トラックに出会う。

荷台には犬。

どうやらハンターのようだ。

ここは猟区らしく地元のハンターが銃を持って入ってきているらしい。
展望台はこの道でいいか?と聞くと、
このまままっすぐ行くとあるとの事。
少しホッとしたものの、
走ってもなかなか見当たらない。
 

諦めかけた時、展望台に到着!

あいにくの雨混じり、展望台から下を覗くと、数百メートルの 崖アンド渓谷。

しかし雲が絶え間なく流れ込み、崖伝いに上昇してくる。

視界が全くなくなると思えば、突然開け、眼下に古のハワイの自然があらわになる。

公園の芝刈りに来ていた管理者が2人いて作業中だった。

ちょっと安心。

これまで遭遇したのはハンターの車一台。

対向車もなければ、後から追ってくる観光者もいない。

そうなるとなんとかやってきたものの、無事に帰れるかも心配になってくる。

虹の出現目指し、必死に粘る。

ちょっと晴れ間が出ると途端に下から霧状の雨をもたらす雲が湧いて出てくる。

 

気温は標高が高くてさらに雨で、なんと21度しかない!

短パンTシャツでは寒い。

 

それでも一時間ほど粘る。

虹は時より出たものの、結局、スッキリ晴れることは無く、撮れず。

 

やむなく下山。

マウイ島、ラナイ島、そしてモロカイと

神経を使うドライブばかり。

もはや、大冒険の類。

道くらい整備してくれってんだ、全く。

ホテルに戻る。
ちょっと休憩のつもりが、2時間以上熟睡。
間も無く夕日が沈む。
初日に見たココナッツグローブにまた行こうと思っていたが諦めて
プールサイドで日没鑑賞。
ここで驚くことを発見!
ハワイの夕日は年中、午後5時半頃から始まるのだが
(赤道に近いため、季節によって大きな変化はない)日が沈むのは6時前後。
そのくらいがオレンジ色に空が染まり綺麗だと思っていたのだが、
実は日没30分後くらいが「より綺麗」になる。

しばらく経つと空全体にオレンジ色が広がり、より鮮やかになる。​

(中央部の空に広がる青い縦の線は何だろう?)

その後、オレンジ色の面積が狭くなり、黒い夜空と藍色のグラデーションが広がる。

左側上部にヤシの葉の横に小さく光るのは月。

そして、真っ暗に。

最後には藍色の部分が黒に飲み込まれる。

わずかにオレンジ色が水平線に沿って残る。
初日のココナッツグローブは多少日が沈んでからも見ていたが数分程度。
実はその後こそが本番だったのだ。
美しいパームツリーは見られなかったが、今後に活かせる学習をした。

 

疲れたのでホテルで食事をしようと思ったが、レストランは改修中でやってないとのことで再び車に乗り込み町に出る。

日曜日はほとんどの店がやっていない。

普通のドライブインでBentoを食べる。

唐揚げとスパムとカルビにご飯のセット。

食べてホテルに戻り部屋でくつろぐ。

 

午前2時にニワトリが鳴き、また起こされ・・

いつの間にか朝を迎えた。

 

コケコッコーじゃなくて

クックドゥドゥルドゥー!

 

Day 10月28日(火)  モロカイからオアフへ。

モロカイ島最終日。島に来て一番の青空。

去年ラナイ島は3日間だった。
小さな島だし、「そのくらいでいいか」と出かけたが、
行ってみると少し慌ただしさが残る感じ。
そこで今年、モロカイ島は1日滞在を増やし4日間にした。
正解。
全ての行きたいところに行けたわけではないが、
主要幹線道路は全て制覇。

ガイドブックなどに載る名所もほぼ制覇。
あとは深夜から営業するパン屋さん「カネミツ・ストア」だけ。
4日あれば初心者の日本人には十分と言えるだろう。(もちろん個人差はあります)
最終日の朝。
軽い朝食を貰いにロビーに。
もはや配給のようだ。
毎日同じものが並ぶが、別に苦にならない。

マフィンとコーヒー、そしてドールのパインやフルーツのカットしたパック。
部屋でさっと食べてチェックアウトの準備。


今日も朝から快晴。

 

昨日は一日少し雲が多めだったが、

今日は朝からいい天気。

対岸の島(ラナイ島)も綺麗に見える。

昨日までは濁っていた海も

今日は浄化したように真っ青。

ハワイの海だ。

車に乗り込み出発。

いざカネミツストアでパンを買い空港へ。

と意気込んでみたものの、行ってみると

クローズ。

 

ありがちなミス。

「火曜日定休日」だった。泣

空港へ直行。

レンタカー返却も空港内でスムーズ。

カウンターで搭乗確認と荷物を預ける。

このモクレレ航空にはイマイチよくわからないところがある。

航空券は人のみの値段で、荷物代は別料金。

今回は預け荷物が2人で2個。

計30ドル。

機内持ち込みはもちろんタダなのだが、機内は狭くて、乗る直前に飛行機の前まで行くと必ず

「預かろうか?」

とパイロットに聞かれる。

「はい。」

と答えると、

その荷物をさっき預けたスーツケースと一緒に積み込むのだ。

最初に預けると有料、後で預けると無料。

さっぱり意味がわからん。

結局この日も預けてホノルルへ。

天気がいい中の小型機でのフライトはとても楽しい。

行きも綺麗だったが、帰りは一昨日行ったモロカイの白砂の海岸やオアフ島も上空から名所巡り。
マカプウ岬、
奥にはラニカイビーチ、チャイナマンズハット、コオラウ山脈が見えて、オアフ島の上に入るとサンディービーチ、ハワイカイ、ダイアモンドヘッドの真上。

ワイキキも全体が楽しめ、ダウンタウン、パールハーバーもバッチリ。

あっという間の30分。

かなりお得なオアフ島の遊覧飛行。

(ワイキキの街並 機内から)

 

〜 Tips 3 〜

Inter Island

島の間をつなぐ航空会社は何社かあるが、

つなぐ島によって会社が違う。

アイランド・エアーは比較的大きな双発のプロペラ機。

デザインはハワイぽくてとてもいい。

モクレレ航空は規模としては小さい。
さっきカウンターにいた人が、

荷物の積み込みを行なっていたり。
 

もちろん小さい飛行機は天気が悪いと激しい揺れで最悪な状況になることも予想される。

ハワイアン航空は航路が多いので、揺れに弱い人は大きい機体の航空会社を選んだほうがいいかも。

 

ホノルル着。

通常のホノルル国際空港の慌ただしさと混雑しか知らない人も多いと思うのだが、インターアイランド(島をつなぐ定期便)で、 しかもハワイアンのカウンターのさらに奥にある搭乗口を是非見てもらいたい。

とにかく「ガラーン」としていて、ものすごく牧歌的な雰囲気。

人も車の出入りもあまり無い。

ただし慣れないと行き方すらわからない。

私は3年かかってもまだ一度で行けていない。笑

 

タクシーでワイキキへ。

約40ドル。チップ入れて46ドル。

カミさんが「チップいくら?」「多すぎない?」と電卓叩き出して、車内でケンカ始まる。(いい加減に15%くらい暗算してくれ!)

 

チェックイン。

午前11時だが、そのまま部屋へ。

個人旅行の場合、部屋が出来ていれば早くても入れてくれる。

今回は何階だろう?オーシャンビューか?シティビューか?

基本的にはノーリクエストでお願いしていたのだが、常宿にしているこのホテルはハワイではもう数少ない喫煙可能ルームがある。

ラナイのみだがそのリクエストをするだけ。

部屋は30階。悪くない。

エレベーターで上がる。

フロアに降りて部屋番号を見る。

「ガーーーーン!!」

またやられた!

 

エレベーターの隣。

去年も一昨年もだったか?

なぜかあてがわれるエレベーターの隣。

とにかくうるさいのだ。

それも半端じゃなく。

ひっきりなしに動くので昼も夜も

「ゴ〜〜、ゴ〜〜」。

しかもオーシャンビューじゃなくてシティビュー(山側)。

でも今年は文句を言わないことにした。

(そもそも言えないのだが)

それも実はこのホテル現在大改修中で客室数が少ないのだ。

去年の工事用の足組されて出られないラナイではさすがに文句も言いたくなるが。

前の年の衝撃的だった部屋。

各階の01、02号室がこういう状態と言われたが、外から目視したら1229部屋中3部屋しかなかった。

ある意味持ってる!

エレベーター、オッケー。

シティビュー、オッケー。

・・・・・泣

でもこれはさすがに勘弁して・・・・

そんな寛大さにささやかなプレゼントが。

山側に雲が広がっていたが、

強い雨を降らせていた。(街は降っていない)

太陽の位置から見ても絶好の

レインボウチャンス!!
ラナイでしばらく見ていると綺麗な虹が出た。

しかも山側から街に流れ込んでくる雲の動きに合わせて、虹がこちらに動いてくるのだ。
オーシャンビューだと絶対に見られない光景。

 

午後は街をブラブラ。

夕方に昼と夜を兼ねた食事をチーズバーガー・ビーチウォークへ。
再開発が進み新店がこの数年で増えた地区。


日本人女性なら2人で一人前くらいのハンバーガーと、ロコモコをオーダー。
案の定、余る。
それにしても、ワイキキの街は毎年変貌を遂げているが、
2014年は、この20年で一番変わった一年かもしれない。
ワイキキのランドマークの一つ、インターナショナルマーケットプレイスは完全閉鎖で絶賛工事中。(2016年工事は完了。ただし半分くらいは未オープン)

カラカウア通りの古い建物も軒並み建て直し、綺麗になっている。
景気に左右されることが顕著な「観光」で成り立つこの島。
アラモアナには
1戸数億円が当たり前のコンドミニアムがバンバン作られている。
街を歩く人は、今年は若い韓国人が多い。(新婚旅行が多そう)
まだ中国人旅行者はあまり増えてはいない。
建物も客層もこの数年で激しく変わったし、これからもどんどん変わっていくだろう。
カラカウア通りとアラモアナのお買い物コースを歩いて、ホテル戻りは午後10時。
風呂、就寝。
明日はレンタカーでワイキキ脱出!

いやぁ
・・・

エレベーターがうるさい!

 

Day   11月29日(水)  Sunset at Sunset Beach

のんびり起床。
といっても8時過ぎ。
普段ならぐっすり寝てる時間。
レンタカーのピックアップは10時。
少し早めにカウンターへ行くが、混雑していて約30分以上かかる。
出発は10時過ぎ。

今回のドライブはオアフ島東回り。
ダイアモンドヘッドの麓と海岸線の間を通り、
まずはダイヤモンドヘッド・ビーチパークに寄り道。
ここはビーチは広くはないがサーファーが多く、日光浴する人はほとんどいない。
地元の人が犬の散歩に来たり、仕事の前にサーフィンしに来る人がほとんど。
昼間はあまり騒がしくない。

 

しばしくつろぎ今度はハワイカイの町を通り、

ハナウマ湾を過ぎて、サンディビーチへ。

サンディはボディボードの聖地。

サーフィンする人はあまりいない。

岸との境目で突然大きな波が来るのでボディボードにうってつけ。

 

その後 "Makapuu Point" (マカプウ・ポイント)。

オアフ島の東端に位置し、灯台がある観光名所の一つ。

そして東海岸側を走りカネオヘを過ぎると

"Waimanalo Beach" (ワイマナロビーチ)。

曙の出身地。ビーチはほとんど人がいない。

そしてとてもキレイ。

バスクリン・ブルーだ。

このビーチはほとんどガイドブックなどに載っていないが、絶対にオススメ。

 

次に "Kailua beach" (カイルア・ビーチ)。

カイルアビーチは有名になりすぎて大混雑。
海はキレイだが、もはやワイキキビーチ並みの人の数。5分もいないで車に戻る。

その隣の "Lanikai Beach" (ラニカイビーチ)だが、静かなローカルビーチだったのは遠い昔のよう。

この数年でびっくりするくらい人が来るようになった。ここもたまらず退散。

元々駐車場なども無く、住宅街に路駐しなければいけないのだが、あまりの多さに右往左往。ちょっと悲しい。

ラニカイの町では自転車のレンタルをやっていて、そこら中で日本人が自転車を漕いでいる。
カイルアの起点になるカラパワイ・マーケットでランチにハンバーガー購入。
注文後に作ってくれるので、
ちょっと待つがここのデリは美味しい。

 

再び出発。

今度はラニカイの町で買い物。

ここは古いものを売る店(アンティークショップ)が多い。

 

「アリイ・アンティークス2」で(2つ店がある)長い間探していた

1950年代のフラドール

を見つけ一体購入。

再び海岸線を走り、"Kahuku" の街へ。
ここはエビの街。
シュリンプスキャンピはお腹いっぱいで食べられそうもない
ただ、眠気が増してきたので一旦休憩のために立ち寄る。
ココナッツ・スムージを飲んでいると、

突然、男の悲鳴が!
よく見ると店の主人がワールドシリーズの第7戦をやっていて、商売そっちのけで見て興奮している。
私の顔を見て、

「ワールドシリーズついに終わるぞ!わかるか!」

とたたみかける。

「?(だから?)」という顔をしていると
「興味ないのか?」
「イチロースズキ!!」

と言う。

「イチローは出てない・・・・。」

はっきり言ってイチローは出てない。笑
興味のない俺になんとか説明しようとしてる。
それにしても説明になっていない。笑

その後、再び北上。
タートルベイを過ぎ、
ついに西側に海岸線へ。
実は今回の旅、最も行きたかった場所。

"Sunset Beach" (サンセット・ビーチ)

までもう少しだ。
ここまで過去の年の日記を読み続けたヒマな(失礼!)あなたはお気づきだと思うが、

サンセット・ビーチには何度か行っている。

違うのだ。
実は今回行くサンセット・ビーチは

日没前後のサンセット・ビーチ

なのだ。
つまりサンセット・ビーチに「サンセット」を見に行きたかったのだ。

 

今回は比較的ゆっくりめに車をレンタルし、

東側海岸線からフリーウェイを使わずに寄り道してきたため、時間はこの時点で午後5時を過ぎている。
空はすでに西日から夕景に変わってきていてちょっと焦る。
そんな中、多くの車で賑わうビーチに到着。
近くの駐車場に停めてビーチへと向かう。
空は黄色く染まり始めていた。
帰り支度をするサーファーに混じり、
やはりこの時間も多くの観光客がビーチにとどまっていた。
太陽の黄色が放射状に伸びる。
そんな中、まだ沖ではサーファーが波をとらえている。
沖で見るこの夕日はどんなものなのだろう?
あまりの美しさに言葉を失う我々と違い、
毎日見ている地元のサーファーにとっては

別に代わり映えしないいつもの夕暮れなのかもしれない。
「空を見上げる時間など勿体無い」というくらい波と格闘しつけている。

 

日が沈んでからが、いよいよフィナーレ。
日没の瞬間は雲に隠れて見ることができなかったが、オレンジ色が雲に乱反射し、炎のようでもあり、
オーロラのようでもあるかのように広がる。

そしてそのオレンジ色が今度は海に反射し始める。
空はオレンジから紫に色を変える。
その紫色が今度は海に映り込む。
なんとも表現できない、
宗教画の世界。


ハワイに来始めてから34年。
まだまだ「知らないハワイ」が意外と近くにあっ
た。

 

終演後、車に乗り込みワイキキへ出発。

渋滞気味の一本道。

おそらく多くの日がこの一大ページェントを見に来ていたんだろう。

途中からはフリーウェイにのる。

ここからは一気に時速60マイル(約96㎞/h)でのドライブ。

約100キロのスピードで走っていてもどんどん抜かされる。

雨交じりの中一路ホノルル・ワイキキへ。

降り口をまちがいないように確認し、そこからが一番神経を使うワイキキ。

一方通行が多いので頭に入っていないと本当に大変。

しかも標識は夜だと見えづらいので前に車がいないと逆進する可能性がある。

なんとかホテルに到着し、車の返却口に行くとスタッフらしき人が手振りで合図。

「なんだ?」

車を降りて聞くと

「営業は終わった。」という感じで人の顔も見ずに伝える。

時計を見ると午後9時6分。

営業時間は・・・・午後9時まで。

確かに・・・・

 

う〜〜んシビア。そこがアメリカ。

一般的にはルーズと思われがちだが、店を閉める時間や帰宅時間には極めてシビア。

仕方がないのでホテルのパーキングに1泊することに。

エントランスまで車を運び、ベルボーイさんに聞くと

「1泊30ドル。」と言われた。

6分おくれで30ドル・・・・

3000円の出費・・・・・

イタい。

レンタカーの契約は一応翌朝10時までになっていたので問題はないのだが、翌朝は「ただ返すだけ」の予定。

なんだか気持ちの整理がつかない30ドルに悶々としたまま就寝。

 

Day  11月30日(木) Hop Step Shopping

昨日はわずか6分遅れで車が返せなかった。
何よりすごいのは9時06分に会社に誰もいないということ。
結果的に駐車場を借りなければならなくなり、その金額は30ドル、
約3,000円と高くついた。
ただ朝返すだけのために駐車だ。

「なんだかなぁ・・・」と思いつつも、
まぁ、これも勉強だ。


今日は朝8時半に待ち合わせして

「アイランド・ブリーズ・フロム・ハワイ」のDJ、寛子さんと朝食。

場所はお任せして ”bills” という店。
本家はシドニーだが東京に出して大ヒット。
その東京の経営者がハワイに出したらしい。
パンケーキにはリコッタチーズが入っていて美味い!
さらにスクランブルエッグはディカプリオが絶賛したらしい。
確かにどれも美味い。
しかも最近できたカラカウアの外れにある建物に入っていて、あまり今は知られていない。近いうちに行く人にはオススメする。

10時に寛子さんが用事があるとの事で別れ、

散歩しながらカラカウア通りをほぼ端からはじまで歩く。
新しい店が本当に増えた。

それだけ潰れたり既に取り壊され撤退している店も多い裏返しでもある。
そして古くからあるホテルのリノベーションラッシュでもある。

下を見ればあちこちに巨大な穴が開き、上を見上げれば巨大な天まで伸びるクレーンが何本もそびえ立っている。
店の入れ替えだけではなく、
「リゾート地・ハワイ」始まって以来の高層ビルの建て替えの時期に来ているのだ。

ちなみにカラカウア通りのほとんどの店は11時オープン。
 ちょっと散歩して時間つぶし後、
まだほとんどお客のいないデューティフリーへカミさんのお供。
その後、寄り道しながらの散歩。
実はワイキキはこのカラカウア通りの一本道と

枝分かれした道づたいにほとんどの店が集中している。

特に「買い物三昧」が目的の人は大方この狭いエリアとアラモアナショッピングセンターで用が済む。
しかし通常の4日ほどの滞在でもびっくりするくらい歩くことになる。
よっぽど履きなれた靴で出かけないと痛い目にあうので注意は必要だ。

いったんホテルに戻り休憩。
数年前まではそんな時間も惜しんでプールサイドやビーチで寝転んでいたが、
それほど日焼けに憧れもない。
何と言っても歳をとったせいか疲れる。
ベッドに横になるとすぐに眠くなる。
少しうたた寝。それが気持ちいい。

その後はワードセンターへ足を延ばす。
アラモアナSCよりもさらに先にある。
行く方法としてはアラモアナまでトロリーで出かけ、そこから歩く。
結構な距離がある。

でも歩けない距離ではない。

買い物袋ぶら下げていると苦痛。
旅行会社によっては巡回無料バスを出しているのでそれに乗る手もある。
もしくはタクシー。

だいたいワイキキ中心部から25ドルくらいか。

ワードセンターは巨大な敷地に広がるショッピングセンター。
その中に何個もの建物が広がる。

ほぼ全てが一階建て。
あらかじめ目指すところを決めていかないと

タクシーを降りてからでも周辺を右往左往することになるので注意が必要。

建物も厳密に言うと「ワードなになに・・・」と違う名前がついてるので、よく調べて出掛ける方がいい。

カラカウア通りやアラモアナにはない物も数多くあるのでのんびり楽しめる。

 

さて問題ここからどうやって帰るか。
1:タクシーで再び戻る。
2:利用できる無料バス、または公共のThe BusでアラモアナSC、またはワイキキまで。
3:歩いてアラモアナSC

で、どんなものか歩いてみることに。
・・・やっぱり遠い。
しんどかった。 

少し中を見てトロリーでホテルへ戻ることに。
そうそうトロリーが新しくなりました。
なんと二階建て!
ロンドンばりの二階建てバスに変更になった。
ところが街の中はこれまで走っていなかった高さのバスのため、
何度も道路脇の樹木の枝にバサバサ当たりながらの走行。
アミューズメント・パークのアトラクションばりに恐怖感があります。笑

改めて書いてみても何にも特筆することがない1日。
ラナイでワイキキの夜をのんびり満喫。

就寝。

明日は最終日。

〜 Tips 4 〜

2014年「一番混んでいる」と感じた店はカラカウア通りにできた "Marukame Udon"。そう、日本ではおなじみの「丸亀うどん」だ。

店の外まで行列ができている。

よく見てみると半数以上の客が「外国人」

(ハワイでは私が「外国人」なのだが、この場合はアメリカ人の事)

すすって食べられない彼らがどうやって食べているのかは想像はつくが、「うどん」に興味があるというのにはびっくり!

一方、びっくりするくらいに客が激減していたのは現在も私は愛用している、

カジュアルウェアの有名兄弟ブランド

"Abercrombie & Fitch" と "Hollister"

日本(銀座)でも「ついにアバクロ,オープン」と騒がれたのは2009年。

しかし、その後は本国アメリカでも若者層のファン離れが進み、衰退の一途をたどりアメリカ国内だけで200店舗以上の閉鎖をしたらしい。

現在は商品展開を変更し(象徴的だった「ロゴ」を控えめにする、これまでは販売しなかった「黒い服」の販売も始めるなど)若者のニーズに応えようとしているが、そこまで起爆剤にはなっていない。

私は知り合いの勧めでこのブランドを15年近く愛用しているが、確かにこの10年では見たことがないほど店内はガラーンとした状態に。

店員が所狭しといて、常に大音響の音楽が流れていた頃が嘘のようだ。

今後も閉店計画があるらしいが、その中にハワイ店が入っているのかは不明。

ただ、路線を変更した商品には無地のスエットシャツやオーソドックスなアメカジラインの商品が増えて嬉しい部分もある。

今後に期待したい。

(2016年現在:アバクロは業績が少し上がっている)

 

Day   10月31日(金)   Epilogue ~ 帰国。

起床後はのんびり部屋で過ごす。

昔のパック旅行は時間がとても悪く、早朝(確か6時頃)にバスに乗せられて空港へ。

早い便で日本へ向かった。

帰国準備に徹夜気味の人も多かった。

今は便数も増え、いい時間に出発できる。

11時にタクシーにて空港へ。

今回は午後1時05分の出発便。

この日はハロウィーン。

普段は女子アナ並みの(!)清廉性が求められる空港関係者の皆さんも、この日は朝から大盛り上がり。

とにかく「化ける」。

何しろシフト上で休みが付いている人が

「仮装して仕事に出たいから、休みを代わって!」

と懇願してくるそう。

楽しむときは徹底しているのがアメリカ。

 

実は帰りはビジネスクラス。

と言ってももちろんお金を出して乗るわけではない。

マイレージでのアップグレード。

これまでは積算マイレージでハワイに行く航空券に換えていたが、今回はアップグレードに使ってみた。

 

これがとても心地よい。

まずは空港の出発カウンターが全く別になり、

大行列に並ばなくても良い。

荷物はスーツケースが2個から3個になり、一つあたりの重量制限が23キロから32キロになる。

つまり毎年経験してきた重量オーバーで、空港でダンボール箱への入れ替え作業が無い。

(いつもスーツケースにパンパンに詰め込む自分が悪いのだが)

 

空港内に入ると「サクララウンジ」が使用可。

中に入ると飲み物やスナックが無料で食事可。

 

もちろんビジネスシートでゆったりと帰国の途。

今のビジネスシートは数年前のファースト並みだ。

ほぼフルフラットに出来る。

 

さらに食事もエコノミーとは別で飲み物の選択肢も増える。

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帰りは約8時間。

この快適さは一度経験するとなかなか元には戻れないほどだ。

(今回は良かったが、今後どうしよう!)

 

見た映画はなんと4本。

お尻が痛くなることも、膝が固まることももちろん無い。

 

ビジネスクラスのチケットを購入するとすごい金額になるのだが、マイレージならばありがたい。

(余談だが、おかげで翌日からの疲労がいつもとは雲泥の差だった。・・・気がする)

 

映画を見ながらウトウトしていて、突然頭の中である事に気がついた。私は今回いつものカメラバッグと、財布類を入れたショルダーバッグ、そして帰りは購入した割れ物を手荷物で持っていた。

そして、実はもう一つ。

いつもハワイでTシャツを購入した際にもらう

「ポスター」を持って帰る。

 

半分夢の中だった私の頭に突然ある事が浮かんだ。

 

「!」

 

いてもたってもいられなくなり、頭上のコンソールを確認。

「・・・・・無い!」

そうポスターがないのだ。

ドキドキしながら考えて見る。

サクララウンジでカミさんがトイレに行っている間に搭乗時間になり、荷物を手にしてラウンジの入り口で待った。

その時、カミさんの手荷物も全て持って入り口に行ったつもりだった。

「忘れ物ない?」と聞かれ、「無い。」と答えたが・・・・あったのだ。

 

たかがタダでもらえるポスターだから仕方がないじゃない?

と思われるかもしれないが、実は、ポスターは紙の筒状。(当たり前)

これまでも何度か持ち帰っているのだが、その際にどうしてもどこかにぶつけたりして若干「折れる」。

すると帰って額縁に入れたりした際に「折れ」が目立ってしまう。

だから極力折れないように持ち帰る。

その方法は、筒状のポスターの中の空洞に

「服を詰め込む」のだ。

しっかりと巻いて筒の直径いっぱいに固くなるまで詰め込む。

その数、数枚。

たまたま帰国準備中にそこにあった服を入れたため、中にはカミさんのカーディガンやら私のお気に入りのTシャツが入っている。

 

「・・・やばい!(汗)」

 

仮眠から目覚めたカミさんに、恐る恐る

「ポ、ポスターが・・・な、無い・・」

と打ち明ける。

さらに、

「な、中には・・・・あんたのカーディガンを・・・・・ま、ま、丸めて詰め込んだ・・・・(汗)」

 

みるみるカミさんの顔色が変わるのが、消灯で暗い機内でも見て取れた。

 

「どこで忘れたの!ちゃんと考えてみなさい!(怒)」

「は、はい・・・!」

 

「え~~と・・機内には無い。

その前はサクララウンジで席を離れた時は・・

持ってなかった。

ん?

待てよ?

サクララウンジに持って入った記憶が・・・

無い。

手荷物検査の際も・・・・持ってない! 

出発カウンターでも持って・・・なかった!

 

「うわ~~~~!!!

   タクシーじゃんか!」

 

実はタクシーは前の日にホテルからワードセンターへ向かう時に利用した運転手さん。

その時の話の中で「いつ帰るの?」と聞かれ

「明日」と答えると、「じゃぁ迎えに行くよ」と言われていた。そして迎えた今日、ホテル前から乗って空港へ。

 

空港では荷物を降ろし、「名刺あげたよね?来年も来るなら連絡ちょうだい」と言われたばかりだった。

私は名刺をもらっていたかどうかの確認もせずに「オッケー」と言って別れたのだが、こんなことになるのならちゃんともらって確認しておけばよかった。

「後悔先にたたず」。

 

ただ、お互いに結構話をしたし、唯一の救いは私の名前を告げて前日に予約を入れ、今日も出発の30分前に運転手さんから確認の電話を部屋にもらっていた。

だからひょっとしたら、ホテルに「忘れ物」としてチェックアウトしたばかりだったが

預けてくれているかもしれない。

と、かすかな光を勝手に見出してひとまず、忘れることにしたのだった。

映画を4本。

「ヘラクレス」

「Let's Be A Cop」

「Lucy」

「Boyhood ~6歳のボクが、大人になるまで。」

最後の「Boyhood」は一人の男の子が6歳から18歳までの12年間かけて主人公を演じた異色作。

この子の18歳の途中で(つまり終わり間近)で成田に着いた。

ビジネスクラスでの8時間はもっと長くてもいいくらいのフライト。

利用するチャンスがあれば是非。

 

そして今回これも初めての試み。

成田で荷物を「配送」にしてみた。

これまでのハワイの旅で一番きついのが、

実は「千歳に降りてから」。

 

腹立たしくいつも思うことなのだが、千歳の空港〜JRのアクセスが非常に悪い。

荷物を受け取り、(例年はスーツケースを2個、ボストンバッグが1個、そしてダンボール箱に入れた土産物が1個)それに機内持ち込みしているハードのカメラケースが1個、ショルダーバッグが二人それぞれ1個ずつ・・・)

この荷物を空港で全てカートに載せる。

そして到着ゲートを出た後、「エレベーター」でJRのフロアまで降りるのだが、このエレベーターが少なく、かつ小さい。

 

前に一組いると荷物が入りきらないので、待たなければならない。

ようやく地下のJR乗り場までたどり着いた後、そのカートでJRの構内(改札の向こう側)に入れないのだ。

 

スーツケースの上にカメラケースやボストンバッグなどを載せ、ヨタヨタしながら進むことになる。

 

さらに改札を通った後、再びもう一度エレベータに乗る。

このエレベータが「へんぴ」なところにあり、

ぐるっと周っていかなければいけない。

全くもって不便極まりないのだ。

 

そんな思いを今回もするのかと思っていたら、

ちょうど国際線から国内線への乗り継ぎの通路の間くらいに,

 

『JAL ABC』

 

というカウンターがあって、そこで荷物の宅配を受け付けていた。

いくらかかるのかを聞いたら

「ひとつ北海道まで2,170円」

「3つで6,510円かぁ、高いな。」

と諦めかけたら、

「クレジットカードで旅先の利用があれば、ひとつ500円になります。」と言われた。

 

私のカードとカミさんのカードもあるので

2つはなんと500円ずつ。

つまり合計で3、170円

私は荷物が多かったが普通の人はスーツケース大体1個。

つまり重たい思いをして家まで運ぶくらいなら

500円で送ってもらう方法があるのを覚えておくといい。

カードの種類等によっては無料だったりするサービスもあるようですので確認してみるといいです。

 

成田からはもちろんエコノミークラスで札幌へ

いきなり身の丈の、いつもの世界へ逆戻り。

(でも最近のエコノミーも随分スペースにゆとりができたし、問題は無いのだけどね。)

約30分ほど遅れて午後9時到着。(東京が雨で出発が遅延)

 

家に到着は午後10時過ぎ。

 

さぁ、また来年。

6島制覇したハワイ。

次はもう一度島巡り2周り目か?

それとも再びオアフ島から攻めるか?

 

はたまた、浮気して違う場所へ旅に出るのか?

今は未定である。

 

A Few Days Later...  ポスター、その後。

帰国後、2日経った朝の5時。突然目が覚めた。
どうも帰ってからも時差ぼけだ。

これまでは帰りは時差ぼけは起きていない。
なのに今回はなぜか前日に引き続き朝5時に目が覚めた。

再び例のポスターが気になってもう一度考えてみた。
飛行機の中に・・・・持ち込んでいない。
搭乗前の待合所・・・・持って出てない。
待合所前の空港内DFS・・・・なかった。
手荷物検査所・・・・検査に出していない。
航空会社のカウンター前・・・・なかった。
タクシー・・・・あれ?ちょっと待てよ・・・

荷物を運転手さんに預けて積み込んだ。 自分はカメラケースとショルダーバッグと割れ物の入った紙袋。
カミさんは持つはずがない・・・と言うことはその時点で持ってなかった。
ホテルのチェックアウトの際。
カウンターで財布を出したり色々してた・・・

持ってない!

・・・という事は・・・

部屋じゃないか!!

こっちが朝の5時、向こうは午前10時。
「すみませんがホテルに忘れ物がなかったか確認してもらえないだろうか?」

ハワイ在住の寛子さんにメール。
すると、返事が。
「あったみたいです。でも何があったかは教えてくれません。自分で連絡入れてみてください。」という文章とホテルの電話番号が。

連絡してみたのだが、このやり取りが不思議。
相手は日本語が通じる。

(多分日本人、もしくは日系の人)
Hiro (以下H): 「31日チェックアウトしたフクチです。ルームナンバーは
3051。忘れ物はありませんでしたか?」

Operator(以下O):「どのようなものでしょうか?」

H;「巻いたポスターですが、中に洋服が入っています。」

O;「どんな洋服ですか?」

H;「カーディガンと、Tシャツです。」

O;「何枚ですか?」

H;「3、4枚だと思いますが、ポスターに包まれていませんでしたか?」

O;「それはお教えできません。・・・住所を教えてください」

H;「!?・・・・あの~~ポスターに巻いたんですけど、ありませんでした?」

O ;「それはお教えできません」

H;「(どういうこと?!)・・・・・」

O;「ご住所をどうぞ。」


結局ポスターがあるのかどうかはわからず。
おそらく規則で向こう側からは一切中身については言えないのでしょう。
(それにしても徹底してるわ・・・)
でも、一つ言えるのは洋服が入っていて、その中身を確認し、
それが合っているから住所の確認をしたということ。

つまりそのポスターは分解されて中身を確認したということ。
ポスターの上にはもショッピングバッグを解体して作った厚紙でカバーをしていたので

それを外し、 ポスターを広げて中身を確認していると思われるので、おそらくポスターが大事なものと思われていなかったのかもしれない。

現時点ではまだ届いていないので(帰国後4日目)はっきりしないが、
おそらく間もなく送ってくる荷物は「洋服」だけではないだろうか?

あのぉ・・・
欲しかったのはポスターなんですけど。

 

11月9日(日)It’s Several Days Later more... ポスター来る。

届きました。
自分で包んだサイズとほぼ同じサイズの段ボールに包まれて。
中を開けると私が包んだショッピングバッグを加工した紙に包まれたまま。
開けた形跡は全くない。
中身もポスターと洋服数点詰め込んだ時と全く変わらない状態。

(あの電話での確認は一体なんだったのか・・・・???)

でも、おかげさまでポスターも無事。
ただし送料なんと!

7000円!
結局高くついた。泣)

旅行の際は忘れ物のないように。


 

To Be Continued... Next Year?

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